最近、大規模な整理を続けている。
最初は単純な掃除のつもりだった。
だが実際には、それ以上の事が起き始めていた。
長く滞留していた物を、一つずつ分類していく。
混ざっていた物を整える。
実際に触れる。
状態を確認する。
必要なら清掃する。
そうした作業を延々と繰り返していた。
すると不思議な事が起き始める。
「何が本当に必要か」が、頭ではなく空間から見え始めるのである。
今も自然と触れている物。
感覚が反応する物。
整えたくなる物。
逆に、長く停止していた物。
存在を忘れかけていた物。
視界から外れていた物。
それらの差が、整理を進めるほど鮮明になっていく。
特に印象的だったのは、空間の反応だった。
物を減らした瞬間よりも、
「現在も感覚が通っている物だけが前へ残った瞬間」に、
空間が急に静かになったのである。
人は頭で「全部大切」と考える事が出来る。
だが空間は、それを曖昧に受け入れない。
本当に必要な物。
今も感覚が生きている物。
既に役目を終えている物。
それらを静かに区別し始める。
整理とは、単に物を減らす行為ではない。
感覚の輪郭を確認していく作業なのかもしれない。
大量の所有の中では見えなくなっていたものがある。
本当に落ち着く状態。
本当に満たされる感覚。
無理なく維持出来る量。
そして、「これ以上は要らない」と自然に思える境界線。
空所者にとって掃除とは、空間を綺麗にするためだけのものではない。
現在の感覚を、空間へ反映させていく行為である。
人は、空間を見れば分かる。
何に感覚が通っているのか。
何が停止しているのか。
そして今、本当に必要としているものが何なのかを。
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