「全部好き」は、感覚を鈍らせる

人は好きな物が増えるほど、幸福になれると思っている。

好きな作品。

好きな色。

好きなデザイン。

好きな趣味。

それらを増やし続ければ、満たされ続けると考えてしまう。

だが実際には、好きな物が増え過ぎる事で、感覚の輪郭が曖昧になっていく瞬間が存在する。

本当に強く惹かれる物には、本来かなり明確な偏りがある。

自然と視線が向く。

無意識に選んでいる。

繰り返し触れてしまう。

そこには説明より先に、感覚の反応が存在している。

しかし所有が増え続けると、人は少しずつ境界を緩め始める。

「これも好きかもしれない」

「安かったから」

「限定だから」

「一応残しておこう」

その積み重ねによって、“核”だった感覚がぼやけ始める。

空所者にとって重要なのは、「どれだけ好きな物があるか」ではない。

何に最も強く反応しているかである。

本当に好きな物は、案外少ない。

そして少ないからこそ、感覚が鮮明になる。

逆に、「全部好き」という状態は、時に選別の停止でもある。

優先順位が曖昧になり、

必要性も未確定になり、

空間の中で全てが同じ熱量へ均されていく。

だが感覚は、本来もっと偏っている。

静かに、しかし確実に、

「これは違う」

「これは残したい」

を判断している。

空間が整い始めると、その偏りは少しずつ見え始める。

自然と前へ残る物。

視界へ置きたくなる物。

無理なく管理出来る物。

そこに、その人の“核”が現れる。

空所者は、幅広く好きになろうとはしない。

むしろ逆である。

本当に強く反応している感覚を、濁らせないようにしている。

何でも残す事は、豊かさとは限らない。

時にそれは、

「本当に好きな物の輪郭」を、

大量の所有の中へ埋もれさせてしまうのである。

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