物や体験には、
人それぞれの線引きがある。
ここまではいい。
ここからは違う。
その境界は、はっきりしているようで曖昧でもある。
自分の場合、
ゲームの中身を改ざんするような行為には強い違和感がある。
いわゆるチートのようなもの。
本来の体験を崩してしまう感覚がある。
でも一方で、
過去のゲームをまとめて扱うような形には抵抗が少なかった。
例えば レトロフリーク のようなもの。
複数のソフトを一つにまとめて管理する。
これは体験を壊しているというより、
扱い方を変えているだけに見える。
この違いは何なのか。
考えてみると、
「何を守っているか」の違いだった。
体験そのものを守りたいのか。
それとも、扱いやすさを優先するのか。
どちらも一つの価値。
ただ、
その線引きも固定されているわけではない。
最初は気になっていたことも、
時間が経つと気にならなくなることがある。
逆に、
気にしていなかったことに違和感を持つこともある。
さらに言えば、
そもそもそれ自体が必要かどうかも変わってくる。
過去のゲームを残しておく。
そのために形を変えて持つ。
それ自体は成立している。
でも、
実際に触れないのであれば、
そこにある意味は薄くなる。
残していても、使っていない。
その状態に気付くと、
線引きそのものの重さも変わる。
許容かどうかを考えていたものが、
そもそも必要ではなかったと分かる。
空所者は、ここを見る。
何が正しいかではなく、
それが今必要かどうか。
許容するかどうかではなく、
それに意味があるのか。
その基準に変わると、
多くのものは自然に軽くなる。
線引きは残る。
でも、それに縛られることはなくなる。
それが、空所者の見方。
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