積みという停止

人は、購入するだけである程度満足出来てしまう。

それがプラモデルでも、フィギュアでも、ゲームでも、衣類でも本質は変わらない。

「手に入れた」という事実そのものに、人は満足感を覚える。

だからこそ、人は買い続ける事が出来る。

だが、その満足感は本当の価値とは別物だ。

プラモデルは作って初めて価値が分かる。

フィギュアは触れて、飾って、眺めて初めて関係性が生まれる。

ゲームは起動して遊んで初めて意味を持つ。

衣類は実際に着用し、生活して初めて、本当に自分に合うかどうかが分かる。

つまり、体験によって初めて価値は確定する。

積みとは何だろうか。

一般的には「いつかやる楽しみ」として語られる事が多い。

だが空所者として見た時、それは別の姿をしている。

積みとは、

「価値が停止した状態」

である。

購入時の満足感だけで止まり、体験へ進まない。

その結果、

・本当に好きなのか
・自分に必要なのか
・人生を満たしてくれるのか

それら全てが未確定のまま滞留していく。

積みが増えるほど、人は気付きから遠ざかる。

未確定の価値が空間を埋め、感覚を鈍らせる。

部屋が圧迫されているのではない。

「未確定」が堆積しているのである。

空所者にとって重要なのは、所有している事ではない。

感覚が通っているかどうか。

使う。触れる。着る。試す。

その循環の中でのみ、物は初めて生きた所有物になる。

そして体験を通した時、人は初めて知る。

本当に必要なものは、案外少ないという事を。

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