人は「好きな物に囲まれた生活」に憧れる。
だが実際には、物が増え続ける事によって、本来好きだったはずの物同士が互いを打ち消し始める瞬間が存在する。
どれだけ魅力的な物でも、情報量が過剰になると背景へ沈み、感覚は次第に鈍くなっていく。
人は空いている空間を軽視しやすい。
何も置かれていない場所を見ると、
「まだ置ける」
「勿体ない」
「空いている」
と考える。
だが空所者にとって空間とは、単なる余白ではない。
感覚が呼吸するための領域である。
部屋が苦しいのは、狭いからではない。
未確定の所有が滞留しているからだ。
使っていない物。
長く触れていない物。
既に役目を終えている物。
それらは静かに空間を圧迫し、思考や感覚にノイズを生み出していく。
空間は正直である。
本当に必要な物だけが置かれている時、部屋には静けさが生まれる。
逆に、惰性や不安によって残された物は、どれだけ高価であろうと空間の中で異物として浮かび上がる。
人は物を所有しているつもりで、実際には物によって感覚を占有されている事がある。
視界に入り続ける情報。
片付けなければならない負債。
管理しきれない所有。
それらは少しずつ集中力を奪い、「落ち着ける場所」を失わせていく。
空所者は、何も持たない事を目指している訳ではない。
本当に必要な物だけが、静かに存在している状態を求めている。
その時、空間は初めて意味を持つ。
何も置かれていない場所には、不思議な安心感がある。
それは欠乏ではない。
未完成でもない。
感覚が自由でいられる余白である。
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