空所者という状態とは何か

これまで、いくつかの視点について書いてきた。

物の所有。

必要という感覚。

選択。

評価。

価値。

執着。

それらは、生活の中で当たり前に存在しているものだと思われている。

でも、それらを一度外して見た時に、

別の見え方がある。

それが、空所者という状態。

空所者は、

何も持たないことではない。

何も求めないことでもない。

何も感じないことでもない。

そうではなく、

それらに固定されていない状態。

物を持っていてもいい。

目的を持っていてもいい。

評価を受けてもいい。

ただ、それに依存しない。

それが無くなっても崩れない。

そのまま成立している。

これまで見てきたように、

多くのものは「必要」に見えている。

でも、その必要は固定されたものではなく、

後から作られている場合もある。

安心のため。

習慣のため。

意味づけのため。

空所者は、その前提を少し離れる。

それが本当に必要なのか。

それとも、そう思っているだけなのか。

一度そこを見直す。

すると、

残るものがある。

それは削った後に消えるものではなく、

削っても残るもの。

空所者とは、その残り方を見ている状態でもある。

何を持つかではなく、

持っていても縛られないか。

何を選ぶかではなく、

選択に固定されていないか。

それが基準になる。

だから、空所者は特別な思想ではない。

ただ、見る位置が違うだけ。

持つことも、持たないことも、

同じ場所に置かれる。

そこに優劣はない。

それが、空所者という状態。

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