人は、安心を求める。
何かを持つことで安心する。
何かがあることで落ち着く。
それは自然な感覚だと思う。
例えば、
気に入っている物。
いつも使っている物。
そこにあるだけで落ち着く物。
それらは、自分にとっての「安心」になっている。
でも、その安心はどこにあるのか。
物の中にあるのか。
それとも、自分の中にあるのか。
多くの場合、安心は外に置かれている。
物の中に。
環境の中に。
状況の中に。
だから、それが無くなると不安になる。
前の記事で書いたように、
物を減らすと不安が出てくるのは自然なことだ。
それは、安心の置き場所が外にあったから。
では、安心はどこにあればいいのか。
空所者は、そこを少しずらす。
安心を何かに預けるのではなく、
固定しない。
何かがあるから安心する、ではなく、
何も無くても揺れない状態に近づいていく。
それは強さというより、
慣れに近い。
最初は不安が出る。
何かに頼りたくなる。
それでも、そのままにしておく。
埋めない。
足さない。
戻さない。
すると少しずつ、
「何かが無いといけない」という前提が弱くなる。
安心は、どこかにあるものではなかったと気付く。
外に置いていた安心は、
ただの条件だった。
その条件が揃っている間だけ、成立していたもの。
空所者は、その条件を外していく。
何も無い状態でも、
特に問題が起きないと分かると、
安心の形は変わる。
それは、何かに支えられた安心ではなく、
何も無くても崩れない状態。
安心とは、何かを持つことではなかった。
何かが無くても成立する状態。
それが、空所者の見ている安心。
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