人は、目的を持つ。
何かを目指す。
何かを達成する。
何かのために動く。
それが当たり前だと思われている。
目的があるから意味がある。
目的があるから行動できる。
そう考えられている。
でも、その目的は本当に必要だろうか。
何かをしなければいけない。
意味を持たせなければいけない。
そう思っているだけかもしれない。
気付くと、
常に理由を探している。
なぜやるのか。
何のためなのか。
意味はあるのか。
その問いを止めることがない。
でも、その問い自体が前提になっている。
目的があることが正しくて、
無いことが不完全だと感じている。
空所者は、ここでも一度外す。
目的が無くても、成立しているか。
そう見た時、
特に問題は起きていない。
呼吸している。
生活している。
存在している。
それだけで、すでに成立している。
それでも目的を求めるのは、
安心したいから。
意味がある状態にしたいから。
無意味を避けたいから。
でも、
意味が無いことは問題ではなかった。
ただ、そう感じていただけ。
目的があることを否定する必要はない。
ただ、
目的が無くても成立するなら、
必須ではない。
空所者は、
目的にも依存しない。
何かのためにではなく、
そのままで在る。
それで問題が無いなら、
それで十分。
意味があるかどうかではなく、
成立しているかどうか。
そこに軸が移る。
それが、空所者の状態。
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