人は選択を恐れる。
捨てるべきか。
残すべきか。
買うべきか。
やめるべきか。
進むべきか。
戻るべきか。
人生は選択の連続である。
しかし多くの人は選択そのものよりも、間違った選択を恐れる。
だから決めない。
保留する。
先送りにする。
とりあえず残しておく。
私は長い間、それが慎重さなのだと思っていた。
しかし今は違う考えを持っている。
選択しない事は無料ではない。
むしろ最も高くつく場合がある。
例えば一つの物を手放すか迷っているとする。
捨てれば後悔するかもしれない。
だから残す。
一見すると損失を回避したように見える。
しかし実際には何が起きているだろうか。
その物は場所を占有する。
管理が必要になる。
視界に入り続ける。
気になり続ける。
判断は終わらない。
迷いだけが延長される。
決断を先送りしただけで、問題は解決していないのである。
私はこれを保留の錯覚と呼んでいる。
人は何も決めていない状態を中立だと思っている。
しかし実際には違う。
保留もまた一つの選択なのである。
残すと決めたのと同じだけの影響が発生している。
人生において最も高価な資源は何だろうか。
私は時間だと思う。
お金は取り戻せる。
物も買い直せる。
失った空間も片付ければ戻る。
しかし時間だけは戻らない。
それにも関わらず、人は時間を消費してまで選択を避けようとする。
迷う。
悩む。
保管する。
先送りする。
その繰り返しで何年も過ぎていく。
私はある時気付いた。
選択には痛みがある。
だから人は避けたがる。
捨てる痛み。
失う痛み。
間違える痛み。
後悔する痛み。
それらは確かに存在する。
しかしその痛みは一度きりである。
一方で選択しない痛みは終わらない。
見るたびに迷う。
触れるたびに悩む。
思い出すたびに考える。
負担は何度も発生する。
一度の痛みを避けた結果、永続的な負担を背負うのである。
私は思う。
人生を重くしているのは失敗ではない。
未決定である。
やるのか。
やらないのか。
残すのか。
手放すのか。
続けるのか。
終えるのか。
決まっている事は軽い。
決まっていない事は重い。
だから人生は選択によって軽くなる。
選択とは何かを失う事ではない。
何かを明確にする事である。
そして明確さは自由を生む。
進む方向が決まる。
必要な物が分かる。
不要な物が分かる。
人生に余白が生まれる。
人は選択を恐れる。
その気持ちは理解出来る。
しかし私は確信している。
人生において本当に高くつくのは、間違った選択ではない。
選択しない事である。
なぜなら選択しない限り、人生は前へ進まないからである。
そして選択とは勇気ではない。
未来の自分に負担を残さないという、現在の自分の責任なのである。
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