人は予備を持ちたがる。
予備の服。
予備の道具。
予備の趣味。
予備の計画。
予備の可能性。
そして時には、予備の人生まで。
理由は単純である。
失う事が怖いからだ。
もし壊れたらどうしよう。
もし必要になったらどうしよう。
もし後悔したらどうしよう。
もし手に入らなくなったらどうしよう。
人は未来の不安に備えようとする。
それ自体は自然な事だと思う。
問題は、その不安に終わりがない事である。
一つ予備を持つ。
すると安心出来るだろうか。
多くの場合は違う。
次の不安が生まれる。
さらに別の予備が欲しくなる。
安心を手に入れたはずなのに、不安は消えていない。
私は長い間、不思議だった。
なぜ人はこれほど準備を重ねるのだろうか。
そして気付いた。
人は予備を集めているのではない。
安心を集めようとしているのである。
しかし安心は所有出来ない。
どれだけ物を増やしても、不安が無くなる訳ではない。
なぜなら不安の正体は物ではないからだ。
未来だからである。
未来は不確実である。
だから不安になる。
そして不安を消すために予備を持つ。
しかし未来は無限に存在する。
全ての未来に備える事は出来ない。
その結果、人は少しずつ抱え込む。
念のため。
もしものため。
いつかのため。
そうして人生には予備が増えていく。
私は思う。
予備そのものが問題なのではない。
問題は、本番を忘れる事である。
人生は本番である。
にも関わらず、人は本番を生きながら準備を続ける。
まるで、いつか始まる人生のために練習しているかのように。
しかしその「いつか」は来ない。
なぜなら人生は既に始まっているからである。
今日が本番である。
今が本番である。
この瞬間が本番である。
私はある時、考え方が変わった。
後からどうとでもなる。
そう思えるようになった。
それは楽観ではない。
現実を見た結果である。
これまでの人生を振り返ると、多くの問題は何とかしてきた。
必要になれば考えた。
必要になれば手に入れた。
必要になれば工夫した。
そして大抵の事は何とかなった。
それにも関わらず、人はまだ来ていない未来のために現在を差し出してしまう。
空間を差し出す。
時間を差し出す。
意識を差し出す。
人生を差し出す。
私はそれが勿体ないと思う。
予備は安心を約束しない。
しかし現在を圧迫する。
その代償は決して小さくない。
人は不安を避けるために予備を持つ。
しかし予備を抱え続ける事そのものが、新たな負担になる事もある。
だから私は問いたい。
それは本当に必要だろうか。
それとも不安のために保管しているだけだろうか。
私は予備を否定したいのではない。
本番を忘れる事を否定したいのである。
人生は準備のために存在するのではない。
生きるために存在するのである。
今日を生きるために。
体験するために。
学ぶために。
愛でるために。
そして充分を味わうために。
人生に予備はいらない。
本番を生きれば、それで充分なのである。
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