充分は才能である

私は長い間、才能とは特別な能力の事だと思っていた。

頭の良さ。

運動能力。

芸術的な感性。

人を惹き付ける魅力。

世間が才能と呼ぶものは大体その辺りである。

しかし歳を重ねるにつれて、別の才能の存在に気付いた。

それは充分を知る才能である。

私はこの才能を過小評価し過ぎていた。

世の中には多くを持ちながら苦しむ人がいる。

充分な収入がある。

充分な物を持っている。

充分な時間がある。

充分な環境がある。

それでも満たされない。

それでも不足を感じる。

それでも次を求め続ける。

一方で、驚くほど少ない物で満たされている人もいる。

小さな部屋で暮らす人。

同じ趣味を長く楽しむ人。

限られた物を大切に使う人。

彼らは何かを我慢しているようには見えない。

むしろ自由に見える。

私は不思議だった。

なぜ同じ世界に生きているのに、これほど差が生まれるのだろうか。

そして気付いた。

豊かさを決めるのは所有量ではない。

充分を感じる能力なのである。

多くの人は満足を結果だと思っている。

欲しい物を手に入れた結果として満足が訪れると考えている。

しかし実際には逆である。

満足出来る人は満足する。

満足出来ない人は満足しない。

そこにある物の量は本質ではない。

認識こそが本質なのである。

私はこれを才能だと思う。

なぜなら訓練によって伸ばせる一方で、誰もが自然に持っている訳ではないからだ。

不足を見つける事は簡単である。

足りない物は無限に存在する。

もっと大きな家。

もっと高性能な道具。

もっと広い部屋。

もっと多くの収入。

もっと多くの経験。

探そうと思えば永遠に見つかる。

しかし充分を見つける事は難しい。

なぜなら立ち止まる必要があるからだ。

比較をやめる必要があるからだ。

外側ではなく内側を見る必要があるからだ。

私は思う。

現代社会は不足を見つける競争をしている。

広告は不足を教える。

SNSは不足を教える。

市場は不足を教える。

だから人々は不足を探す達人になった。

しかし充分を見つける練習はほとんどしていない。

それは非常にもったいない事だと思う。

充分を知る人は自由だからである。

他人の所有に振り回されない。

流行に振り回されない。

比較に振り回されない。

承認に振り回されない。

なぜなら既に満たされているからである。

私は最近、一つの確信を持つようになった。

豊かな人とは、多くを持つ人ではない。

充分を知る人である。

そして幸福な人とは、多くを手に入れた人ではない。

既に持っているものの価値に気付いた人である。

世の中は才能を羨む。

頭の良い人を羨む。

成功した人を羨む。

お金持ちを羨む。

しかし私は思う。

本当に羨ましいのは、充分を知る人である。

なぜなら、その人は少ない物でも豊かに生きられるからだ。

充分は妥協ではない。

諦めでもない。

現実逃避でもない。

充分は才能である。

そして人生を豊かにする最も静かな才能なのである。

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