自分という感覚はどこにあるのか

人は、自分というものがあると思っている。

自分の考え。

自分の価値観。

自分の好きなもの。

それらは、一つにまとまったもののように見える。

でも実際には、

それらは常に変わっている。

状況によって変わる。

時間によって変わる。

関わる人によっても変わる。

同じ人でも、

違う場面では違う反応をする。

それでも、

それを「自分」と呼んでいる。

空所者は、ここを見る。

それは本当に固定されたものなのか。

変わり続けているものを、

一つのものとして捉えているだけではないか。

もしそうなら、

自分という感覚もまた、

絶対ではない。

一定ではない。

ただ、その時にそう感じている状態。

それが連続しているように見えているだけ。

だから、

自分に固執する必要もない。

こうでなければならない、

これが自分だ、

そう決める必要はない。

空所者は、

自分という感覚にも固定を置かない。

その時の状態として受け取る。

変わっても問題はない。

むしろ、

変わることが自然。

それが前提になると、

自分に対する重さも減っていく。

守るべき固定がなくなる。

ただ、そのまま存在している。

それが、空所者の見ている自分。

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