「シン・仮面ライダー」が好きだった私が、すべてのグッズを手放すまで

私は「シン・仮面ライダー」が好きだった。

映画を観て、作品に惹かれ、関連商品も買った。

フィギュア、プラモデル、グッズ。

当時の私は、それらを無闇に買っていたつもりはなかった。

むしろ、自分なりにかなり厳選して買っているつもりだった。

だから、まさか最終的にシン・仮面ライダー関連の物をすべて手放すことになるとは思っていなかった。

しかし今振り返ると、私は「厳選していた」ということ自体を勘違いしていたのかもしれない。

「厳選しているつもり」でも、物は増えていく

一つ一つの商品を見れば、確かに欲しい理由はあった。

「これは造形がいい」

「これは特別な商品だから」

「これは自分が好きな1号だから」

そうやって選んでいた。

しかし、結果として関連商品はどんどん増えていった。

ここで、あることに気付いた。

本当に極限まで厳選できているのなら、なぜこんなに関連商品が増えているのだろう?

物の数そのものが、すでに答えだったのかもしれない。

「これは厳選した物だから必要だ」と一つ一つに理由を付けていても、全体を見れば大量の関連商品を所有している。

それは、もしかすると最初から「厳選」という考え方の本質からズレていたのではないか。

最初は「メガソフビの1号だけでいい」と思った

物を減らしていく過程で、私は少しずつ考え方を変えていった。

「シン・仮面ライダーの1号なら、メガソフビの1号だけでいいんじゃないか」

そう思うようになった。

それなら他の大型フィギュアはいらない。

そこで、プライム1のフィギュアをキャンセルした。

アート・オブ・コロッサスもキャンセルした。

以前なら「せっかく予約したのに」と思ったかもしれない。

しかし、その頃にはもう、

「本当に欲しい物だけを残す」

という考え方が強くなっていた。

ところが、そこからさらに変わった

「メガソフビの1号だけならいい」

そこまでは、まだシン・仮面ライダーの中で「これだけは残したい」という物を決めていた。

しかし、その後さらに物を見直していくと、今度はアーツも不要だと感じるようになった。

S.H.Figuartsのバッタオーグもそうだった。

これは少し特殊な存在だった。

抽選で当選したときには、素直に嬉しかった。

「当たった!」

そう思った。

以前の自分なら、当選したこと自体が所有する大きな理由になっていただろう。

ところが、実際に自分の物になってみると、気持ちは意外なほど早く変わった。

「これも別に要らないな」

そう思った。

抽選で当たって嬉しかった物ですら、手放す対象になった。

ここで、自分の中の変化をかなりはっきり自覚した。

「欲しい物を厳選する」から「そもそも必要なのか?」へ

以前の私は、

「シン・仮面ライダーの中で何を残すか」

を考えていた。

しかし今は、

「そもそもシン・仮面ライダーの物を所有する必要があるのか?」

というところまで考えるようになった。

これは大きな違いだった。

「これなら残してもいい」

ではなく、

「これを持っている必要があるのか?」

と考える。

その視点でメガソフビを見たとき、以前とは違う感覚になっていた。

最初は「これだけは残したい」と思った。

しかし、時間が経つにつれて、そこにも感情が動かなくなった。

欲しくないわけではない。

嫌いになったわけでもない。

ただ、

「別に持っていなくてもいい」

と思うようになった。

そして最終的に、メガソフビすら手放すことにした。

結果、すべて不要だった

こうして一つずつ見直していった結果、シン・仮面ライダー関連の物はすべて手放すことになった。

最初は厳選していたつもりだった。

次に「これだけでいい」と思った。

そこからさらに減らした。

最後には、

「全部なくても何も困らない」

というところまで来た。

これは、自分でも少し意外だった。

なぜなら、かつては確かに好きだったからだ。

映画を観たときは楽しかった。

商品が発表されたときは欲しいと思った。

抽選に当たれば嬉しかった。

それなのに、今はそれらをすべて手放せる。

作品への気持ちと、物を所有することは別だった

ここでようやく、私は自分が勘違いしていたことに気付いた。

私は、

「シン・仮面ライダーが好き」

という気持ちと、

「シン・仮面ライダーの関連商品を所有したい」

という気持ちを、同じものだと思っていたのだ。

でも違った。

作品を好きだったことは事実。

しかし、それは関連商品を持ち続けなければならないという意味ではない。

そして何より、好きという感情そのものも時間とともに変化する。

以前の私は、その変化を認められていなかったのかもしれない。

「今の自分」を見なければ、過去の自分に縛られる

「昔はこれが欲しかった」

「当時は嬉しかった」

「せっかく買った」

「好きな作品だから」

こういう理由は、すべて過去の自分に関係している。

でも、物を持ち続けるのは現在の自分だ。

だから本当に見るべきなのは、

「今の自分はどう思っているのか」

だった。

今も欲しいのか。

今も眺めたいのか。

今も所有していることで嬉しいのか。

それとも、ただ「昔欲しかったから」という理由だけで残しているのか。

この違いを見極められるようになったことで、物を手放すことへの抵抗も小さくなった。

買うのは簡単。でも、手放すのは大変だった

そして今回、もう一つ身をもって知ったことがある。

物を買うのは簡単だが、手放すのは大変だ。

買うときは数回タップするだけ。

しかし不要になれば、一つずつ確認しなければならない。

売る物を分ける。

買取先を調べる。

箱詰めする。

発送する。

査定を待つ。

大量に持っていれば、その作業も大量になる。

買ったときには見えなかった「所有のコスト」を、手放す段階になって初めて実感した。

だから私はもう、簡単には物を増やさない。

もう「集めること」を目的にしない

今回の経験から、私の物に対する基準は大きく変わった。

これからは、

心の底から欲しいと思う物だけを買う。

そして、自分から欲しい物を探し回ることもしない。

必要な情報が向こうからやってきたとき、それを見て本当に欲しいと思えたものだけを検討する。

「好きな作品だから」

「限定だから」

「せっかくここまで集めたから」

「いつか欲しくなるかもしれないから」

そんな理由では買わない。

シン・仮面ライダーを手放しても、思い出は消えない

私はシン・仮面ライダーの物をすべて手放した。

しかし、作品を好きだった時間まで捨てたわけではない。

映画を観たこと。

商品を楽しみにしていたこと。

欲しいと思ったこと。

抽選に当たって嬉しかったこと。

そういった記憶は、物がなくなっても残っている。

だから今は思う。

思い出を残すために、思い出に関係する物まで残す必要はない。

過去の自分が好きだった物を、現在の自分が所有し続ける義務もない。

自分の本心は変わっていい。

好きなものも変わっていい。

そして、その都度変化する自分の本心を見極めればいい。

今回、シン・仮面ライダーのグッズをすべて手放したことは、単なる断捨離ではなかった。

それは、

「私は本当に何を欲しいと思っているのか」

を、自分自身に問い直すきっかけだった。

そして今の私は、もう「集めなければ」という感覚には戻らない。

物を減らしていくことで、ようやく自分の本心が見えるようになってきたのだから。

最後に残ったものは「映画を観る」という楽しみだった

そして、すべてを手放した後に気付いた。

私はシン・仮面ライダーに何を求めていたのだろう。

フィギュアだろうか。

プラモデルだろうか。

グッズを集めることだろうか。

新商品を追い続けることだろうか。

違った。

私が本当にシン・仮面ライダーに求めていたものは、映画を観ることだった。

映画を観て楽しむ。

それで十分だった。

むしろ、それが一番楽しかった。

そう考えると、今まで大量に所有していた関連商品は、私が本当に求めていた楽しみとは少しずつズレていたのだと思う。

「シン・仮面ライダーが好きだから、関連商品も欲しい」

そう思い込んでいた。

しかし実際には、

「シン・仮面ライダーが好き」と「シン・仮面ライダーの物を集めたい」は別の感情だった。

物を全部手放したことで、その違いがようやく分かった。

今後、シン・仮面ライダーについて私が一番楽しみたいことは、映画を観ること。

それ以上でも、それ以下でもない。

そして、それでいい。

何かを好きになるために、その作品に関連する物を大量に所有する必要はない。

本当に好きな楽しみ方だけが残れば、それで十分なのだ。

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