物価が上がった。
食料品も、光熱費も、日用品も、以前より高くなった。
「生活が苦しくなった」「節約しなければならない」といった話を耳にすることも珍しくない。
ところが、そんな時代であるにもかかわらず、趣味の世界を眺めていると、どこか別の世界のように感じることがある。
ゲーム、フィギュア、プラモデル、キャラクターグッズ、トレーディングカード……。
次々と新商品が発売され、高額な商品であっても予約が入り、限定品ともなれば争奪戦になる。
生活必需品には「高いから買うのをやめよう」と考えるのに、趣味の物になると「欲しいから買う」という判断が優先される。
もちろん、趣味にお金を使うことが悪いわけではない。
人生を楽しむために趣味は必要だし、自分が本当に好きなものにお金を使うことには、十分な価値があると思う。
しかし、私は最近、その先にあるものが気になるようになった。
私たちは、あまりにも多くを求めすぎてはいないだろうか。
「欲しい」が終わらない
趣味の世界を見ていると、とにかく新しい「欲しい」が生まれ続けている。
一つ買った。
それで満足する。
……はずだった。
ところが、すぐに次の商品が発売される。
「これも欲しい」
そしてまた買う。
その商品を手に入れた頃には、さらに次の商品が発表されている。
「これも欲しい」
この繰り返しだ。
もちろん、好きなものが次々と発売されれば欲しくなるのは自然なことだ。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたい。
一体、いつになったら満足するのだろう。
一つ手に入れたことで満足するのではなく、手に入れた瞬間から次のものを探しているのであれば、それは「物を手に入れることで満足している」と言えるのだろうか。
「積み」は現代の欲望を象徴している
その分かりやすい例が、「積み」だと思う。
積みゲー。
積みプラ。
積読。
買ったのに、まだ手をつけていない。
それでも新しいものが欲しくなる。
もちろん、積むこと自体が悪いわけではない。
後で遊ぶために買っておくこともあるし、忙しくて時間がないこともある。
ただ、「まだ大量に残っているのに、さらに次を買う」という状態が当たり前になっていることには、少し考えさせられる。
ゲームを遊ぶためにゲームを買ったはずなのに、買うことが続いて、遊ぶ時間がなくなる。
本を読むために本を買ったはずなのに、読む前に次の本を買う。
プラモデルを作るために買ったのに、完成させる前に新しいキットが積み上がっていく。
これは一体、何を求めているのだろう。
「使うこと」なのか。
それとも、
「所有すること」なのか。
あるいは、
「欲しいと思ったものを手に入れた」という瞬間の快感なのか。
本当に欲しいのは「物」ではないのかもしれない
ここで、もう一段深く考えてみたい。
「フィギュアが欲しい」と思ったとき、本当に欲しいのはフィギュアそのものなのだろうか。
好きなキャラクターを身近に置きたいのかもしれない。
作品との思い出を残したいのかもしれない。
自分の部屋を好きな空間にしたいのかもしれない。
あるいは、「これが好きだ」と感じる自分自身を確認したいのかもしれない。
ゲームなら、「ゲームそのもの」が欲しいのではなく、遊ぶことで得られる体験が欲しいのかもしれない。
本なら、知識が欲しいのかもしれない。
映画なら、感動や物語を味わいたいのかもしれない。
つまり、物は欲望そのものではなく、欲望を満たすための手段である場合が多い。
そう考えると、一つの疑問が生まれる。
その欲望を満たすために、本当に大量の物が必要なのだろうか。
所有量と満足度は比例しない
私自身、物を整理する中で、このことを強く感じるようになった。
以前は、好きな作品のグッズを持っていることそのものに価値を感じていた。
しかし、どれだけ持っていても、収納の中にしまったままなら、普段それを見ることはない。
物が増えているのに、それだけ満足度が増えているわけではない。
むしろ最近は、ほんの少しだけ好きなものを目に届く場所に置いておく方が満足できる。
大量に所有していた頃よりも、少ない物の方が「好き」という感覚を実感できる。
ここで気づいたのは、
所有量と満足度は、必ずしも比例しない
ということだった。
むしろ、物が増えすぎることで、一つ一つの存在が薄れてしまうことすらある。
欲望をなくす必要はない
だからといって、私は「趣味をやめよう」と言いたいわけではない。
欲しいものがあるなら、買えばいい。
好きなものを楽しめばいい。
趣味にお金を使うこと自体を否定する必要はない。
問題なのは、自分が何を求めているのか分からないまま、次から次へと消費してしまうことではないだろうか。
「これが欲しい」と思ったとき、
「なぜ欲しいのだろう?」
と一度考えてみる。
「これを手に入れたら、何が満たされるのだろう?」
と考えてみる。
そして、
「これを手に入れた後、私は本当にこれを楽しむのだろうか?」
と考えてみる。
たったそれだけでも、買い物に対する見方は変わると思う。
「次」を求める前に、今あるものを見る
現代は、とにかく次の商品がやってくる。
新作。
限定品。
再販。
コラボ。
新シリーズ。
セール。
予約開始。
欲望が途切れる暇がない。
一つの欲望を満たしたと思ったら、すぐに次の欲望が提示される。
だからこそ、自分から一度止まる必要があるのかもしれない。
「次は何を買おう?」ではなく、「今持っているものを十分に楽しめているだろうか?」
と。
新しい物を手に入れることだけが、趣味を楽しむ方法ではない。
すでに持っているゲームを遊ぶ。
積んでいた本を読む。
完成していないプラモデルを作る。
好きなフィギュアを眺める。
昔買った作品をもう一度楽しむ。
それだけでも、十分に趣味の時間になる。
本当に必要なのは、物を減らすことではない
私は、物を減らすことそのものが目的ではないと思っている。
本当に大切なのは、自分が何を求めているのかを知ることなのではないだろうか。
欲望をなくす必要はない。
欲しいものを我慢し続ける必要もない。
ただ、
「私は何が欲しいのか」
だけではなく、
「私はなぜ、それが欲しいのか」
まで考えてみる。
そこまで分かれば、意外と大量の物は必要なくなる。
好きなキャラクターを愛するために、部屋いっぱいのグッズが必要とは限らない。
ゲームを楽しむために、何十本もの未プレイ作品を所有する必要もない。
本を読むために、読み切れないほど本を買う必要もない。
欲望の本質が分かれば、物はもっと少なくていい。
そして、物が少なくなったとき、初めて見えてくるものもある。
それは「何を持っているか」ではなく、
「自分は何を大切にしたいのか」
ということだ。
物を減らすというのは、欲望を捨てることではない。
もしかするとそれは、余計な欲望を削ぎ落として、本当に自分が欲しかったものを見つけるための作業なのかもしれない。
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