物を減らしていく中で、私は一つのことに気付いた。
それは、同じ物を数多く集め出した時こそ、自分が本当に求めているものは何なのかを疑ってみる必要があるということだ。
もちろん、コレクションそのものが悪いと言いたいわけではない。
本当に集めることが好きで、一つ一つを所有することに喜びを感じているのであれば、それはその人にとって必要な趣味なのだと思う。
しかし、自分の場合は違った。
一つ一つの商品は確かに欲しかった。
だからこそ、私は「厳選して買っている」と思っていた。
ところが、物を減らしていく中で、その「厳選している」という感覚そのものを疑うようになった。
一つ一つは欲しい。でも、全部必要なのか?
物を買う時には、それぞれに理由がある。
「このキャラクターが好きだから」
「この作品が好きだから」
「造形が気に入ったから」
「これは特別な商品だから」
一つだけを見れば、どれも納得できる。
しかし、それが何個も、何十個も増えていった時には、一度立ち止まった方がいい。
「私は本当に、これだけの物を必要としているのだろうか?」
一つの商品を欲しいと思うことと、その商品を何十個も集めることは同じではない。
いつの間にか、
「持っていないから欲しい」
「ここまで集めたから続けたい」
「せっかくだから揃えたい」
という気持ちが混ざってくる。
そうなると、最初にあった「好き」という気持ちよりも、集めることそのものが目的になっている可能性がある。
だから私は今、数が増え始めた時こそ、自分の本心を疑うべきだと思っている。
私の場合、それを教えてくれたのが未来だった
「閃乱カグラ」の未来とは、Nintendo DSでゲームを遊んだ頃からの長い付き合いだった。
だから、未来のグッズを買っていた時も、決して一時的な流行に乗っていたわけではない。
未来というキャラクターが好きだった。
その気持ちは本物だった。
グッズも無闇に買っていたわけではなく、一つ一つを厳選していた。
だから、まさかそれらに興味がなくなる日が来るとは思っていなかった。
ところが、ある日突然、何の前触れもなく興味がなくなった。
本当に突然だった。
そこで私は大きなことに気付いた。
人間の本心は、ある日突然変わることがある。
昨日まで大切だったものが、今日になったら必要なくなることだってある。
「今これだけ好きなのだから、これからも好きだろう」
そんな保証はどこにもない。
そして、もう一つ気付いた。
私が未来に対して一番楽しんでいたことは、未来のグッズを所有することではなかった。
ゲームの中で未来を操作して遊ぶことだった。
それが一番楽しかった。
だったら、グッズを大量に所有する必要はない。
未来を好きだったことは本当だ。
長い付き合いだったことも本当だ。
それでも、「未来が好き」と「未来のグッズを持ち続けたい」は別のものだった。
この経験は、私にとって非常に大きな気付きになった。
シン・仮面ライダーでも同じことが起きた
シン・仮面ライダーは、劇場公開された時からの付き合いだ。
未来とは違い、こちらは映画を観たことから始まった。
そして私は、シン・仮面ライダーについても、無闇に物を買っていたつもりはなかった。
自分なりに厳選していた。
それでも、関連商品はかなり増えていた。
そこで少しずつ手放していった。
プライム1をキャンセルした。
アート・オブ・コロッサスもキャンセルした。
アーツも不要だと分かった。
抽選で当たって嬉しかったはずのバッタオーグすら、手放す対象になった。
そして最後には、残そうと思っていたメガソフビにすら感情が動かなくなった。
結果として、シン・仮面ライダー関連の物はすべて手放すことになった。
そこで、改めて自分に問い直した。
「私はシン・仮面ライダーの何を一番楽しみたかったのだろう?」
答えは、意外なほど単純だった。
映画を観ることだった。
フィギュアを集めることでもない。
グッズを所有することでもない。
新商品を追い続けることでもない。
映画を観る。
それが一番楽しかった。
それでも、所有していて満足できる物はある
ここは誤解してほしくないところでもある。
私は「趣味の物は全部必要ない」と考えているわけではない。
今でも、心から所有していることに満足できるキャラクターはいる。
そして、そのキャラクターに関するグッズも数個だけ残している。
それらについては、持っていること自体に満足している。
だからこそ、違いが分かるようになった。
何でもかんでも所有したくないのではない。
本当に自分が欲しいと思うものなら、少数でも所有したい。
逆に、好きな作品だからという理由だけで関連商品を増やしていくことには、もう魅力を感じない。
この違いは大きい。
「好きだから全部欲しい」ではなく、
「本当にこれを所有したいのか?」
と考えるようになった。
「好き」と「所有したい」は別の感情
未来とシン・仮面ライダー。
経緯は違った。
未来はNintendo DSで遊んだ頃からの長い付き合いだった。
シン・仮面ライダーは劇場公開から好きになった。
どちらも、自分にとって決してどうでもいい作品ではなかった。
それでも、最終的にグッズを手放すことになった。
二つの経験から同じことが見えてきた。
「好き」と「所有したい」は別の感情だった。
好きだからといって、関連する物を持つ必要はない。
作品を楽しむために、グッズを集める必要もない。
キャラクターを好きになるために、そのキャラクターの商品をコンプリートする必要もない。
自分が一番楽しめるものが別にあるなら、それだけでいい。
数が増えたら、一度立ち止まる
だから私は、何かを集め始めた時こそ、こう考えるようになった。
「これは本当に必要なのか?」
一つ増えた時には分からない。
二つ、三つでも分からないかもしれない。
しかし、気付けば十個、二十個と増えている。
その時には、一度立ち止まってみる。
「私は何を楽しみたいのか?」
「集めることそのものが目的になっていないか?」
「これを全部持っていて、本当に嬉しいのか?」
「もし全部なくなったら、本当に困るのか?」
こういう問いを自分に投げかけてみる。
そして、もし答えが曖昧なら、そこで一度止まってみてもいい。
厳選しているから大丈夫、とは限らない
今回の経験で、私は「厳選」という言葉についても考えるようになった。
一つ一つを厳選して買っていても、結果として大量に所有しているなら、その時点で一度考える必要がある。
なぜなら、「一つ一つが必要」という判断と、「全体として必要」という判断は別だからだ。
これは物を減らすようになって初めて分かったことだった。
一つ一つを見ていると、手放しにくい。
しかし、少し離れて全体を見ると、
「こんなに必要だったのか?」
と思うことがある。
だから、物を見る時には個別の商品だけではなく、自分の所有物全体を見ることも大切なのだと思う。
本当に必要なのは、物ではなく「楽しみ」なのかもしれない
未来なら、ゲームで未来を操作して遊ぶこと。
シン・仮面ライダーなら、映画を観ること。
どちらも、物を所有しなくても楽しめる。
これは私にとって大きな発見だった。
私は「好きなものを残す」ことばかり考えていた。
でも、本当に残すべきなのは「好きな物」ではなく、自分が好きだと思える体験そのものなのかもしれない。
物は、その体験を補助するものに過ぎない。
補助するはずの物が増えすぎて、管理することや手放すことに時間を奪われるようになったら、本末転倒だ。
数を集め出した時こそ、空所者として考える
私はこれから、何かを集めたくなった時には、以前より少しだけ慎重になると思う。
「これは欲しい」
だけではなく、
「私は何を楽しみたいのか?」
まで考える。
そして、数が増え始めたら、
「本質からズレていないか?」
と疑ってみる。
集めること自体が悪いわけではない。
厳選して買うことも悪くない。
ただ、厳選しているつもりでも、本心は変わる。
長年好きだったものでも、ある日突然必要なくなることがある。
だからこそ、今の自分の本心を見極める。
そして、明日の自分の本心が今日と同じだとは決めつけない。
これが、私が物を手放していく中で得た大きな気付きだった。
数を集め出した時こそ、一度立ち止まる。
それは物を減らすためだけではない。
自分が本当に何を求めているのかを、もう一度確かめるためなのだ。
「好き」と「所有したい」は別の感情
未来とシン・仮面ライダー。
どちらも、自分にとって決してどうでもいい作品ではなかった。
それでも、最終的にグッズを手放すことになった。
そして、ここでもう一つ気付いたことがある。
手放すことを決めたグッズの多くは、実は長い間仕舞ったままだった。
持っている。
所有している。
それなのに、日常的に眺めることもほとんどない。
飾ることもなく、箱や収納の中に仕舞われたまま。
「好きだから買った」はずなのに、実際の生活の中では、その存在を意識することすらほとんどなかった。
それなら、いったい何のために持っていたのだろう。
一方で、最近好きになったキャラクターについては全く違う。
所有しているグッズは、ほんの僅かしかない。
それでも、その少ないグッズを目の届く場所に飾っている。
毎日の生活の中で自然と目に入る。
そして、それを見るだけで素直に嬉しい。
「これを持っていて良かった」と心から思える。
この違いは非常に大きかった。
大量に所有していた物より、ほんの僅かしか持っていない物の方が、今の自分を満たしている。
そこでようやく分かった。
物の数と、所有する満足感は比例しない。
むしろ、数を増やすことに意識が向きすぎると、一つ一つの物が持つ意味が薄れてしまうことすらある。
私は以前、「好きなものだから残す」という考え方をしていた。
今は少し違う。
「好きなものだから所有したい」のか、それとも「好きなものだから集め続けたい」のか。
この二つは全く違う。
前者なら、ほんの一つでも十分かもしれない。
後者になった瞬間、際限がなくなる可能性がある。
今の私は、たくさん所有することよりも、少ない物をきちんと楽しめることの方が嬉しい。
目の前に飾ってある僅かなグッズを見て、「これで十分だ」と思える。
それこそが、今の私にとっての本当の満足なのだと思う。
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