高い物には、価値があるとされている。
高級車。
ブランド品。
高額な装飾品。
それらは、特別なものとして扱われる。
でも、その価値はどこにあるのか。
車は走るもの。
服は身に付けるもの。
そこだけを見れば、機能としてはすでに成立している。
それでも、人はより高いものを求める。
なぜか。
そこにあるのは、機能ではない。
どう見られるか。
どう感じるか。
どうありたいか。
そういった“内側”に関わるもの。
持つことで、満たされる感覚。
認められているような感覚。
優れているような感覚。
安心していられる感覚。
それらは確かに存在する。
でも、それは物の中にあるものではない。
物を通して、自分の状態を補強しているだけ。
自信を外に置く。
価値を形で確認する。
不安を所有で薄める。
だから、より強いものを求める。
高いもの。
分かりやすいもの。
他人にも伝わるもの。
それを持つことで、
自分の位置を確認しようとする。
空所者は、ここでも一度外す。
それが無くても、自分は成立しているか。
そう見た時、
多くのものは無くても問題が起きない。
残るのは、
物ではなく、自分の状態。
価値は、物の中にあるように見えて、
実際には外に置かれている。
だからこそ、
それを持たなくても成立するなら、
必須ではない。
持つことを否定する必要はない。
ただ、その価値がどこにあるのか。
それを見直すだけで、
選び方は変わる。
物にあると思っていた価値が、
実は自分の中の問題だったと気付く。
それが、空所者の見方。
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