物を持つ理由は、何だろうか。
必要だから。
便利だから。
安心できるから。
そう考えるのが普通だと思う。
でも、その「必要」は本当に最初からあったものだろうか。
例えば、
ゲーム。
音楽。
本。
今は多くがデジタルで成立している。
遊べる。
聴ける。
読める。
それだけで機能としては完結している。
そこに、物理として持つ必要はあるだろうか。
手元に置いておきたい。
所有していたい。
実物で安心したい。
そういう感覚は確かにある。
でもそれは、
最初から必要だったものではない。
後から乗ってきたもの。
過去の習慣。
慣れ。
当たり前だった前提。
それらが重なって、
「持つこと」に意味が生まれている。
最初からデジタルで触れていれば、
その感覚はほとんど生まれない。
つまり、
無くても成立しているものに対して、
理由を後から付けている。
必要だから持つのではなく、
持っていたいから理由を作る。
この順番が逆転している。
空所者は、ここを切り分ける。
それが本当に必要なのか。
それとも、そう思いたいだけなのか。
一度、何も無い状態に戻してみる。
無くても成立するなら、
それは最初から必要ではなかった。
残るものは、
削っても消えないものだけ。
それ以外は、
ただの前提だった可能性がある。
持つこと自体を否定する必要はない。
ただ、
それが最初から必要だったのかどうか。
そこを見直すだけで、
選択は大きく変わる。
必要だと思っていたものの中に、
必要ではなかったものが見えてくる。
それが、空所者の見方。
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