推しが変わった瞬間に残ったもの

人には、長い時間大切にしてきたものがある。

好きだったコンテンツ。

集め続けたグッズ。

絶対に手放さないと思っていたもの。

それは、その時の自分にとって確かな中心だった。

でも、ある日を境にそれが変わることがある。

急に興味が薄れる。

何も感じなくなる。

触れたいと思わなくなる。

理由がはっきりしているわけではない。

ただ、内側の感覚が変わる。

そして気付く。

あれほど大事だと思っていたものが、

もう必要ではなくなっている。

グッズも同じだった。

絶対に手放さないと思っていたものが、

ただの物として見えるようになる。

そこに特別さは無くなる。

ただの所有物になる。

この経験で分かるのは一つ。

人の内面は固定されていないということ。

好きという感覚も、価値だと思う気持ちも、

時間とともに変わる。

だから、

今大事にしているものも、

未来の自分にとって同じとは限らない。

今の推しでさえ、例外ではない。

絶対は存在しない。

そう考えると、所有という行為そのものの意味も変わる。

持ち続けることに保証はない。

価値が続くことにも保証はない。

それでも人は持とうとする。

今の感覚を前提にしてしまうから。

空所者の視点では、ここが少し違う。

今の感覚は固定されないものとして見る。

だから、

持つことにも、持たないことにも絶対を置かない。

いつ変わってもおかしくない。

そういう前提で見ると、

物との距離は少し軽くなる。

それが、この経験から見える一つの形。

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