足るを知るという才能

私は子供の頃を振り返ると、不思議に思う事がある。

あの頃は今より圧倒的に不自由だった。

自由に使えるお金はほとんど無い。

欲しい玩具も自由には買えない。

欲しいゲームも好きなだけ買える訳ではない。

それにも関わらず、今より満たされていたような気がするのである。

なぜだろうか。

私は考えた。

そして一つの答えに辿り着いた。

子供は足るを知るのが上手いのである。

もちろん本人はそんな事を意識していない。

しかし実際にはそうだった。

玩具屋へ行く。

ゲーム売り場へ行く。

沢山の商品が並んでいる。

あれも欲しい。

これも欲しい。

全部欲しい。

だが現実には一つしか選べない。

だから悩む。

真剣に悩む。

そして決断する。

私はこれを選ぶと。

今思えば、その時間はとても大切だった。

なぜなら選択とは諦める事だからである。

一つを選ぶという事は、他の全てを手放すという事である。

しかし子供はそれを自然に受け入れている。

選ばなかった物をいつまでも引きずらない。

買えなかった玩具を何年も悔やまない。

選択が終われば意識は選んだ物へ向かう。

そして徹底的に遊ぶ。

何度も遊ぶ。

飽きるまで遊ぶ。

壊れるまで遊ぶ。

選んだ物を味わい尽くすのである。

私は思う。

これこそが足るを知るという事なのではないだろうか。

大人になると状況は変わる。

働くようになる。

自由に使えるお金が増える。

すると今まで出来なかった事が出来るようになる。

私もそうだった。

気になるゲームが複数あれば同時に買った。

発売日が重なれば二本も三本も買った。

子供の頃には考えられなかった事である。

当時は豊かになったと思っていた。

しかし今振り返ると、必ずしもそうではなかった。

一本を遊んでいると別の一本が気になる。

途中で別のゲームを始める。

未開封のまま積まれていく。

次の新作が発売される。

そしてまた増える。

私はいつの間にか、選ぶ事をやめていた。

その結果、味わう事も減っていたのである。

人は選択肢が増えれば豊かになると思っている。

しかし選択肢が増え過ぎると、一つ一つの体験は薄くなる。

全てを手に入れようとするほど、全てが中途半端になる。

皮肉な事である。

私は今になって思う。

子供の頃は不自由だった。

だから選んでいた。

だから味わっていた。

だから満たされていた。

足るを知るとは欲しい物を我慢する事ではない。

足りないと言い聞かせる事でもない。

選んだものを愛でる事である。

選ばなかったものを追い続けない事である。

そして、

「これで充分だ」

と決める事である。

現代は選択肢に溢れている。

情報も娯楽も無限に存在する。

だからこそ足るを知る事は難しい。

しかし私は思う。

本当に豊かな人とは、多くを持つ人ではない。

選んだものを深く味わえる人である。

私は子供の頃の自分を思い出すたびに、その事を確信するのである。

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