人は、自分で選んでいると思っている。
欲しい物を見つけて、
必要かどうかを考えて、
納得して手に入れる。
それは、自分の意思で決めた選択のはずだ。
でも、本当にそうだろうか。
気付くと、似たような物ばかり目に入る。
おすすめに出てくる商品。
評価の高いランキング。
SNSで流れてくる情報。
それを見ているうちに、
だんだんと「良さそう」に見えてくる。
最初は興味が無かったはずなのに、
いつの間にか気になっている。
そして、こう思う。
「これ、必要かもしれない」と。
この時、自分で選んでいる感覚はある。
でも、その前提はどうやって作られたのか。
何を知るか。
何を目にするか。
何を比較対象にするか。
その多くは、自分で決めていない。
見せられている。
並べられている。
提示されている。
その中から選んでいるだけ。
つまり、選択そのものが、すでに形作られている。
選んでいるつもりで、選ばされている。
それは悪いことではない。
ただ、気付かないままだと、
「欲しい」という感覚の正体が分からなくなる。
本当に必要なのか。
ただ流れに乗っているだけなのか。
その境界が曖昧になる。
空所者は、ここでも少し止まる。
すぐに選ばない。
それが本当に自分の中から出てきたものなのか、
少し距離を置いて見る。
時間を置く。
一度離れる。
何も見ない状態に戻る。
すると、不思議と残るものと消えるものが出てくる。
残るものは、自分の中にある。
消えるものは、外から来ていた。
選択は常に自由に見える。
でも、その前提は自由ではないことがある。
だからこそ、一度止まる。
選ぶ前に、何も無い状態に戻る。
そこから残ったものだけを拾う。
それが、空所者の選び方。
コメント