現代人は満たされていない。
お金が足りないと言う。
時間が足りないと言う。
娯楽が足りないと言う。
自由が足りないと言う。
だから人は考える。
もっと手に入れれば満たされるはずだと。
しかし私は疑問に思う。
本当にそうだろうか。
私達の周りを見渡してみる。
本は無数にある。
映画は無数にある。
音楽は無数にある。
ゲームは無数にある。
動画は無数にある。
趣味は無数にある。
情報は無数にある。
人類史上、これほど多くの選択肢に囲まれた時代は存在しなかった。
それにも関わらず、多くの人は満たされていない。
なぜだろうか。
私はある時、一つの結論に辿り着いた。
現代は不足しているから満たされないのではない。
多すぎるから満たされないのである。
人間は有限である。
時間も有限。
体力も有限。
集中力も有限。
人生そのものが有限である。
しかし現代社会が与える選択肢は無限に近い。
ここに問題がある。
人間は有限なのに、選択肢だけが無限なのである。
全てのゲームは遊べない。
全ての本は読めない。
全ての映画は観られない。
全ての趣味は体験出来ない。
全ての情報は追い切れない。
これは能力の問題ではない。
構造の問題である。
どれほど優秀な人間でも不可能なのである。
すると何が起きるか。
人は常に取り逃したものを意識するようになる。
今遊んでいるゲームより面白い作品があるかもしれない。
今読んでいる本より価値のある本があるかもしれない。
今の趣味より充実する趣味があるかもしれない。
今持っている物より良い物があるかもしれない。
その結果、目の前の体験に集中出来なくなる。
現在を味わえなくなる。
満足出来なくなる。
私は思う。
現代人を苦しめているのは不足ではない。
可能性である。
選択肢である。
情報である。
豊かさそのものである。
人は豊かになれば幸せになると思っていた。
しかし豊かさには副作用があった。
選べなくなるのである。
諦められなくなるのである。
足るを知れなくなるのである。
だから私は思う。
現代人に必要なのは、より多くを手に入れる能力ではない。
取捨選択する能力である。
諦める能力である。
見送る能力である。
そして、
「これで充分だ」
と認識する能力である。
全てを手に入れる事は出来ない。
全てを体験する事も出来ない。
全てを知る事も出来ない。
それは欠陥ではない。
人間である以上、当然の事である。
問題は、その事実を受け入れない事である。
手放したものを数え続ける人生は苦しい。
選ばなかった可能性を追い続ける人生も苦しい。
しかし選んだものを愛でる人生は豊かである。
今あるものを味わう人生は満たされる。
充分を知る人生は自由である。
私は思う。
現代人が失ったのは豊かさではない。
豊かさを扱う技術である。
私達は物を増やす事には成功した。
情報を増やす事にも成功した。
娯楽を増やす事にも成功した。
しかし、その膨大な豊かさの中から何を選び、何を諦め、何を愛でるかを学ばなかった。
だから満たされないのである。
現代は不足しているから満たされないのではない。
多すぎるから満たされないのだ。
私はその事実に気付き、確信した。
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