「足るを知る者は富む」
古代中国の思想家、老子 の有名な言葉である。
あまりにも有名な言葉なので、一度は耳にした事がある人も多いだろう。
しかし私は思う。
この言葉は有名であるにも関わらず、本当の意味では理解されていないのではないだろうか。
多くの場合、足るを知るとは
「欲張らない事」
「感謝する事」
「今あるものを大切にする事」
として語られる。
もちろん、それも間違いではない。
しかし私はそれだけではないと思う。
足るを知るとは、人間の限界を受け入れる事である。
私達は有限である。
時間も有限。
お金も有限。
体力も有限。
人生も有限。
しかし現代社会は無限を提示する。
無限の情報。
無限の娯楽。
無限の選択肢。
無限の可能性。
そして人は錯覚する。
全てを手に入れられるのではないかと。
全てを体験出来るのではないかと。
全てを知る事が出来るのではないかと。
だが現実は違う。
どれだけ長生きしても、全ての本は読めない。
どれだけお金があっても、全ての趣味は体験出来ない。
どれだけ努力しても、全ての可能性を選ぶ事は出来ない。
それが人間である。
私は思う。
足るを知るとは、まずこの事実を受け入れる事から始まる。
現代人は不足に苦しんでいると思われている。
しかし本当にそうだろうか。
私には逆に見える。
多すぎるのである。
選択肢が多すぎる。
情報が多すぎる。
娯楽が多すぎる。
可能性が多すぎる。
そして人は常に比較する。
もっと良い物があるかもしれない。
もっと面白い物があるかもしれない。
もっと充実した人生があるかもしれない。
その結果、今あるものを味わえなくなる。
満たされなくなる。
私は気付いた。
足るを知るとは満足する事ではない。
決断する事である。
ここまでで充分だと。
これを選ぶと。
これは見送ると。
この人生を生きると。
足るを知るとは、無限に広がる可能性の中から、自ら境界線を引く行為なのである。
世の中では諦める事を悪く言う。
しかし私は違うと思う。
人間は諦めなければ生きられない。
全てを諦めているからこそ、一つを選べるのである。
全ての本を読む事を諦めるから、この一冊を深く読める。
全ての趣味を体験する事を諦めるから、この趣味を愛でられる。
全ての人生を生きる事を諦めるから、自分の人生を生きられる。
足るを知るとは敗北ではない。
選択である。
妥協ではない。
覚悟である。
私は思う。
足るを知る者が富む理由は、お金を持っているからではない。
物を持っているからでもない。
満足を知っているからでもない。
自分にとっての充分を知っているからである。
充分を知る者は振り回されない。
不足を煽られても振り回されない。
比較を見せられても振り回されない。
可能性を見せられても振り回されない。
なぜなら、自分で境界線を引いているからである。
現代社会は足りないものを探させる。
しかし人生は足りないものを数えるために存在するのではない。
今あるものを味わうために存在するのである。
足るを知るとは欲望を捨てる事ではない。
人生の有限性を受け入れる事である。
そして、その限られた人生の中で、
「これで充分だ」
と自ら決める事である。
私はそれこそが本当の豊かさだと確信している。
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