人は物を捨てられないのではない

人は物を捨てられない。

世間ではそう言われている。

しかし私は違うと思う。

人は物を捨てられないのではない。

未来を捨てられないのである。

例えば一冊の本がある。

その本を捨てられない理由は何だろうか。

本そのものに価値があるからだろうか。

違う。

多くの場合、人はこう考えている。

「いつか読むかもしれない」

のである。

服も同じだ。

「いつか着るかもしれない」

道具も同じだ。

「いつか使うかもしれない」

箱も同じだ。

「いつか売るかもしれない」

人は現在を見ていない。

未来を見ている。

だから捨てられない。

私は長い間、捨てられない人を意志の弱い人だと思っていた。

しかし実際には違った。

彼らは物を守っているのではない。

可能性を守っているのである。

本を捨てられない人は読書の未来を守っている。

服を捨てられない人は変化した自分の未来を守っている。

趣味の道具を捨てられない人は、再び情熱を取り戻す未来を守っている。

だから苦しい。

捨てているのは物ではないからだ。

未来だからである。

しかしここで一つの問題が発生する。

未来は無限に存在する。

人生は有限である。

人は百の未来を想像出来る。

しかし百の人生を生きる事は出来ない。

いつか読む本。

いつか遊ぶゲーム。

いつか作るプラモデル。

いつか着る服。

いつか始める趣味。

それらは全て未来である。

だが未来は予約席ではない。

想像しただけで実現する訳ではない。

時間を使わなければならない。

行動しなければならない。

人生を支払わなければならない。

それにも関わらず、人は未来を集め始める。

本棚には読まない本が並ぶ。

棚には作らない模型が積まれる。

収納には着ない服が眠る。

部屋は未来で埋め尽くされる。

そして奇妙な事が起きる。

未来を守ろうとした結果、現在が失われるのである。

私はこれこそが所有の最大の罠だと思う。

物は空間だけを占有する訳ではない。

意識も占有する。

見るたびに思い出す。

気になる。

気掛かりになる。

いつかやらなければと思う。

そうして人生の容量が少しずつ削られていく。

人は物に囲まれているのではない。

未消化の未来に囲まれているのである。

さらに厄介なのは、多くの人が実際に体験していない事だ。

体験していないから必要かどうかも分からない。

使っていないから自分に合うかも分からない。

試していないから本当に好きかも分からない。

それでも未来だけは保管し続ける。

私は逆だと思う。

まず体験するべきだ。

体験して初めて必要な物が分かる。

体験して初めて不要な物が分かる。

体験して初めて自分が分かる。

選択とは知識ではない。

体験の結果である。

そして体験を重ねるほど、人は気付く。

人生は思ったより短い。

追いかけられるものには限界がある。

全てを持つ事は出来ない。

全てを体験する事も出来ない。

だから選ばなければならない。

これは諦めではない。

自由である。

百の未来を抱える人生より、一つの体験を生きる人生の方が豊かだからだ。

私は物を捨てているのではない。

未来を選別しているのである。

そして選ばれなかった未来に感謝しながら別れを告げる。

空いた場所には何も残らない。

そう思われるかもしれない。

しかし違う。

そこに戻ってくるのは空間ではない。

現在である。

人は物を捨てられないのではない。

未来を捨てられないのである。

だからこそ、本当に必要なのは捨てる勇気ではない。

選ぶ覚悟なのである。

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