好きな気持ちは所有では証明出来ない

前回の記事で、私は「永遠という幻想」を手放した出来事を書いた。

あの日以来、私は物との向き合い方を大きく変えた。

しかし、その考え方は「興味が無くなったから手放す」という単純な話ではない。

その事を最もよく表しているのが、シン・仮面ライダーである。

私は今でも、この作品が大好きだ。

映画館へ何度も足を運んだ。

作品への想いは、公開当時から今も変わっていない。

だから関連商品もたくさん購入した。

数量限定だったアートオブコロッサスの予約開始時間を待ち、ようやく予約権を手にした時の喜びは今でも忘れない。

予約が確定した瞬間は、本当に嬉しかった。

その時の情熱も感動も本物である。

だから私は、あの頃の自分を否定しない。

しかし今、私はその多くを手放そうとしている。

作品が嫌いになったからではない。

興味が無くなったからでもない。

むしろ、今でも誰よりも好きだと言えるほど惹かれている。

では、なぜ手放すのか。

答えは一つである。

私は気付いたのである。

好きな気持ちは所有では証明出来ない。

世の中には、好きだから集めるという考え方がある。

もちろん、それも一つの楽しみ方だろう。

しかし私は、自分自身を通して知った。

作品を好きな気持ちと、所有する物の数は比例しない。

十個持っているから一個より好きなのではない。

百個持っているから十個より好きなのでもない。

本当に好きという気持ちは、数では測れないのである。

だから私は考えた。

私にとって、本当に必要な物は何だろうか。

その答えが、メガソフビだった。

私は今回、それだけを残す事にした。

私にとっては、それで充分なのである。

その一つがあるだけで、作品への想いは何も失われない。

むしろ、他の物を手放す事で、その一つの存在がより鮮明になった。

以前の私は、「好きだから集める」と考えていた。

今の私は違う。

「好きだからこそ、本当に必要な物だけを残す。」

その考え方へ変わったのである。

私は思う。

人は時として、物を手放す事で好きな気持ちまで失われるような錯覚を抱く。

しかし、それは違う。

思い出は物の中には無い。

好きという気持ちも物の中には無い。

それらは全て、自分自身の中にある。

だから物が減っても、作品への想いは減らない。

私は今でもシン・仮面ライダーが大好きである。

その気持ちは何一つ変わらない。

だからこそ、もう大量の関連商品は必要ない。

好きな気持ちを証明するために、所有を続ける必要もない。

本当に好きなものは、数で支えるものではない。

心の中にあり続けるものなのである。

私はこれからも、心から好きになれる作品に出会うだろう。

その時は、その作品を存分に楽しむ。

しかし、その好きな気持ちを証明するためだけに物を増やす事はしない。

私はもう知っている。

好きな気持ちは、所有では証明出来ない。

そして、本当に大切なものは、ほんの数個あれば充分なのである。

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