充分を知る者は自由である

人は自由を求める。

もっとお金があれば自由になれると思う。

もっと時間があれば自由になれると思う。

もっと広い家があれば自由になれると思う。

もっと多くの選択肢があれば自由になれると思う。

しかし私は、それらが本当の自由だとは思わない。

なぜなら、それらを手に入れても不自由な人がいるからである。

充分な収入があっても不安を抱える人がいる。

充分な時間があっても忙しさから逃げられない人がいる。

充分な物を持っていても不足を感じる人がいる。

もし自由が所有によって決まるのなら、その人達は既に自由なはずである。

しかし現実は違う。

私はある時気付いた。

人を縛るのは不足ではない。

不足感である。

足りないと思う心が人を縛るのである。

もっと必要だ。

まだ足りない。

これでは不充分だ。

その考えは終わらない。

一つを手に入れても次が現れる。

次を手に入れても、そのまた次が現れる。

まるで地平線を追い続けるようなものである。

どれだけ進んでも辿り着けない。

だから苦しい。

だから疲れる。

だから自由になれない。

私は思う。

自由とは何でも手に入れられる状態ではない。

これで充分だと言える状態である。

その瞬間、人は競争から降りる事が出来る。

比較から離れる事が出来る。

承認から距離を置く事が出来る。

流行に追われなくなる。

所有に振り回されなくなる。

未来の可能性に怯えなくなる。

それは放棄ではない。

敗北でもない。

選択である。

自分にとって必要なものを知った人は強い。

自分にとって大切なものを知った人は迷わない。

自分にとって充分なものを知った人は焦らない。

なぜなら判断基準が他人ではなく、自分の中にあるからである。

世の中は常に増やす事を勧める。

もっと持て。

もっと集めろ。

もっと目指せ。

もっと上へ行け。

しかし私は別の考え方を知った。

増やし続ける事だけが豊かさではない。

立ち止まり、見渡し、既にあるものの価値に気付く事も豊かさなのである。

私は空所者である。

だから空いた場所に価値を見る。

何も置かれていない棚に価値を見る。

何も積まれていない床に価値を見る。

そして何より、

「これで充分だ」

と言える心に価値を見る。

充分を知る者は、多くを持たなくても豊かである。

充分を知る者は、多くを求めなくても満たされている。

充分を知る者は、他人の人生を追いかけない。

なぜなら既に自分の人生を生きているからである。

自由とは、何でも手に入れられる事ではない。

自由とは、もう追いかけなくて良いと知る事である。

私は後者を選び、確信した。

充分を知る者は自由である。

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