永遠を信じなくなった日

私は数年前、本気で信じていた。

この推しは、生涯のパートナーになる。

この先どれだけ歳を重ねても、この気持ちは変わらない。

そう疑う事すらなかった。

だからグッズも集めた。

簡単に手に入る物ばかりではない。

過去の初回特典としてしか存在しない品もあり、市場にはほとんど出回らない。

フリマサイトを何度も眺め、ようやく奇跡的に見つけた時の喜びは今でも鮮明に覚えている。

「あった。」

その瞬間の興奮。

ようやく巡り会えた満足感。

その時の私にとって、それは間違いなく宝物だった。

私は思っていた。

きっと一生手放す事はないだろう、と。

しかし、その日は突然やって来た。

少しずつ興味が薄れた訳ではない。

嫌いになった訳でもない。

誰かに影響された訳でもない。

本当にある日、唐突に心が動かなくなった。

グッズを手に取っても、以前のような高揚感が無い。

眺めても何も感じない。

あれほど大切だった物が、静かに役目を終えていた。

私はその時、強い衝撃を受けた。

そして、一つの事を悟った。

人は未来を予測出来ない。

それどころか、

自分自身の心ですら予測出来ない。

私は「一生好きでいる」と信じていた。

しかし、その確信は、何の前触れもなく覆った。

その経験は、私の価値観を根本から変えた。

それ以来、私は「永遠」を前提に物を所有しなくなった。

今、心から愛でている物がある。

今も夢中になっている作品がある。

もちろん大切にしている。

しかし、「これは一生物だ」とは思わない。

なぜなら私は知っているからだ。

人の心は変わる。

その変化は悪い事ではない。

裏切りでもない。

生きている以上、ごく自然な事なのである。

だから私は、未来の自分を縛るような所有はしない。

「一生手放さない」

という約束もしない。

その代わり、今この瞬間は全力で愛でる。

今の自分が本当に好きだと思えるなら、それで充分なのである。

もし、いつの日か共鳴しなくなる時が来たなら、その時は感謝して送り出せばいい。

思い出は物の中には無い。

あの時感じた喜び。

フリマサイトで見つけた時の興奮。

手に入れた時の感動。

それらは全て、私の中に残っている。

だから物だけを残し続ける理由にはならない。

私は今でも、あの日の出来事を忘れない。

あの日、私は推しを失ったのではない。

「永遠という幻想」を手放したのである。

そしてそれは、私にとって失う事ではなく、本当の意味で自由になる始まりだった。

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